生命の食
経済効率優先の現代においては、お金さえあればなんでも買え、人まかせ、季節無視、 産地無視の「食」が当たり前のようになっています。
本来、人間も他の生物と対等の条件で、体を張って土と向き合い、自然に寄り添い、助け合い、攻められながら、作物を育て、それらを「生命の食」とすべき生きものです。
「京都土の塾」の目指すところは、楽を求めるのではなく、他の生きものと対等な「素手」で、自分たちの食べ物を作り、自然界の命を「生命の糧」としていただくことです。 そうすることで、輝く心身を持ちたいと願っています。
生命の食
食べると言うことは本来、壮絶な命のやり取り。
ひとつの命は別の命に取り込まれ、活かされ、 糧となり、命の歴史を綴っていく。
それが自然の掟。
無駄な殺生などない真摯な闘い、命をかけた支え合い。
それが自然の愛・・・だから食べ物は有り難い。
今ある命は私だけのものではない。
必死に生きた貴い命の集積。
農とは命の糧を得るための活動、ひとの知恵。
五感を百パーセント働かせて、食べるために、 鍬一本で自ら土を耕し、額に汗して害虫や雑草、日照りや寒波と闘いながら、 そして、同時に多くの生命に助けられながら、 作物を守り、 やっと実りを迎え、 貴く有り難い命の糧をいただく。
それが農。
自力・素手で得られる収穫には余剰はない。
この一連の作業と時を経て、始めて本来の食が実感出来る。
農は生命のドラマ、生きる証し。
農を通じて、この地球の中で 「生かされて生きる」ということの 意味やすばらしさを体の芯が実感する。
現代の日本人が殆ど知らない、いや知ろうとしない、他の命たちのことを身近なものとして感じ・・・・「共生」を知る。